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団地、アパート、ハイツ、マンション。グッドルームで紹介しているいろいろなお部屋、その外観も含めて「お、これはなかなか面白いな!」ていうもの、時々めぐり合います。そう、集合住宅って、おもしろい!
世界のおもしろい建築をたくさん巡っているタケさんに、おもしろい集合住宅を紹介していただくコラム。
第3回は、日本初のRC造マンションをご紹介。
マンションの中でも、構造がしっかりしているので人気のRC造(鉄筋コンクリート)。その日本における元祖は、じつは、あの建物でした。
(編集部)
私達が日々過ごしている建物の構造は、おおむね木造、鉄骨造、鉄筋コンクリート造に分けられます。昔は石造やレンガ造でも建てられましたが、現在の日本においては木、鉄、鉄筋コンクリートの3種類が大半を占めています。そのうち、マンションといった普通の集合住宅で最も多いのは、コンクリートの中に棒状の鋼材(鉄筋)を入れた鉄筋コンクリート(reinforced concrete)造でしょう(以下、RC造)。
では日本で最初のRC造集合住宅はどこの何かというと、2015年7月に世界遺産への登録が決定した「明治日本の産業革命遺産」のひとつである長崎県の端島炭鉱、通称 軍艦島の炭鉱住宅がまさにそれなのです。今回は世界遺産決定を記念して軍艦島の炭鉱住宅群を紹介しますが、その前に海外の最初期の事例を振り返ってみます。
世界初のRC造集合住宅は、フランスのパリで1903年に完成した「フランクリン通りの集合住宅」とされています。壁面に装飾が施されているので一見分かりにくいものの、周囲の建物よりも窓が大きい(石・レンガ造は構造的に大きな窓が難しい)ことから、RC造だと読み取れます。
その8年後の1911年、オーストリアのウィーンにロースハウスと呼ばれる建物が完成します。大理石を貼った1~2階の店舗部分に対し、3階以上のアパート部分はシンプルな外観のこの建物は、装飾を排除したデザインの先進性で歴史的に高く評価されていますが、装飾が普通だった当時は激しい批判を浴びました。そしてパリから13年後の1916(大正5)年、軍艦島にRC造7階建ての集合住宅が完成したのです。
軍艦島(正式名称 端島)は長崎市の南西沖に浮かぶ小さな島です。1890(明治23)年に三菱が買収して本格的な石炭採掘が始まり、1974(昭和49)年に閉山するまで炭鉱の島として繁栄しました(閉山後は無人島)。大きさは南北約480m、東西約160m、周囲約1.2km。しかもこれは埋め立てて拡張したサイズであって、当初はもっと小さな岩礁でした。この小島に戦前で3千人台、戦後で5千人台もの人口を収めるには、住宅を高層化するしかありません。こうして大正時代以来、狭い島内にRC造集合住宅の建設が相次ぎ、特異な景観が形成されたわけです。
それでは個々の集合住宅を紹介しますが、全棟の掲載は無理なので、特に重要な3棟を取り上げます。また、軍艦島の世界遺産部分は明治期に造られた護岸や炭鉱遺構のみで、実は炭鉱住宅は含まれていません。とはいえ、その歴史的価値は非常に高いものです。
まずは30号棟。これこそ1916(大正5)年に完成した日本で最初のRC造集合住宅です。階数は地下1階、地上7階。東京、大阪よりも早く九州の離島にいきなりこのような建物が出現したこと自体が、軍艦島の重要性を物語っています。また、装飾の無さが批判されたロースハウスの5年後、完全に無装飾の集合住宅が実現したことも、建築史上特筆すべき出来事です。なお、棟番号は現役時代に会社が付けました(建設順とは無関係)。
30号棟の全体はサイコロのような立方体に近く、平面的には中央に吹き抜けがあるロの字型をしています。日本の集合住宅は板状(ヨウカン型)が一般的で、軍艦島の他の住棟も板状かその組み合わせが多いのに、最初がロの字型とは意外な話ですが、狭い土地に多数の住戸を効率よく収めるため、この形になったと思われます。
次は16~20号棟。1918~1922(大正7~11)年の建設で、30号棟に次いで2番目に古いRC造集合住宅です。5棟が極端に狭い間隔で並び、両端は渡り廊下と急斜面で塞がれているため、隣棟間は奥深い谷間になっています。これもより多くの住戸を詰め込むことを優先した設計ですが、上階の壁面をやや後退させて谷間の底に太陽光を届けようとしたり、屋上を緑化したりなど、住み心地を向上する工夫もなされています。ただし、船上からは16号棟、20号棟と渡り廊下の外側しか見えません。
最後は65号棟。地下1階、地上9階一部10階建て、戸数388戸という島内最大の建物で、全体的にはコの字型をしています。建設時期はコの字の3辺ごとに3期に分かれ、第1期部分の完成は何と資材不足の戦争末期1945(昭和20)年。最終的には1958(昭和33)年に完成します。住棟に囲まれた中庭には公園が、10階と屋上には保育園が設けられ、規模・質ともに当時としては高い建物でした。残念ながら65号棟も船上からコの字の形はあまり見えません。
軍艦島に行く機会があれば、廃墟の向こうにかつて住んでいた人々の生活と、そして繁栄を極めたこの島がなぜ廃墟と化したのか、このふたつを考えながら見ていただきたいと思います。
名称:軍艦島の炭鉱住宅群
住所:長崎県長崎市高島町端島
注意:軍艦島上陸ツアーで見学できるのは、整備された歩道と船上からの景観のみ。建物に近付くことはできません。
補足:海外事例の写真を引用した「建築マップ」は有志が運営する建築紹介サイトで、私(タケ)も参加しています。軍艦島のより詳しい記事もあります。
写真と文・タケ